ごく普通の会社員がグローバルビジネスの輪に入っていく方法

留学してMBA取らなくても、普通の会社員がグローバルビジネスに飛び込んでいく方法あります

国家戦略としての外国語学習 シンガポールの事例

前にも書いたように、僕は2011年、シンガポール人同僚の水先案内で、東南アジア市場でのビジネスを始め、その後に、欧米企業ともビジネスをするようになりました。なので、シンガポールへの思い入れは今でも格別なのですが、なかでも建国の父、リー・クアンユー氏へ深い尊敬の念を抱いてます。仕事でシンガポール出張が多くなると、空港の本屋で彼の分厚い著書を買い、翻訳本と照らし合わせて読んだり、辞書片手に読んだりしました。氏は、裕福な家庭で生まれ、ケンブリッジ大学を卒業しているので拡張高い英語で綴られていますが、主張はストラテジストらしく、ロジカルで、シンプルに描かれているのでわかりやすく英語の勉強の点からも大変参考になりました。

 

僕が彼の著作の中で、お気に入りの本は以下のマンダリンを学ぶことの意義と手法について書かれた本です。

 

 

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リー・クアンユー氏はこの本で、中国語の標準語、いわゆるマンダリンを学ぶ意義について語り、自らどうやって学んでいるのか披露しています。

英語を話す裕福な家庭に生まれているので、彼にとってはマンダリンは外国語だったのです。

この本や、他の著作でも、繰り返し、氏は、シンガポール人が英語を話し、マンダリンを話すことのメリットを強調しています。

2015年、91歳で亡くなるのですが、ずっと前から、世界はアメリカと中国が競うようになり、その間で小さな都市国家が繁栄していくためには、両国とのバランスを絶妙にとることが重要で、良好な関係維持のためには国民の話す言語というのが、やはり重要で、その政策は国家戦略でもあるのだ、という主張でした。

シンガポールは、中華系の方がマジョリティーですが、彼らの祖先がアジアのさまざまな地域から移り住んできたので、福建語、広東語、潮州語などを話す人々が1970年代までは多かったそうです。そして、国の政策として1979年スピーク・マンダリン。キャンペーンが始まり、シンガポール母語として英語と共にマンダリンを小中学校で教えるようになったそうです。

リー・クアンユー氏は、占い師ではなく、シンプルに世界を理解しようとすれば、その数十年先がはっきりと見えていたのです。このキャンペーンが始まった当時は、二種類の外国語の習得の大変さに不満をいう国民が少なくなかったそうですが、今、その人たちの子供世代が多極化する世界において、多くのチャンスを得て、幸運を享受しているはずです。

国家の命運を変えるくらい、外国語学習は大切なものだと思います。それゆえに一個人の人生をも、変えてしまうくらいの力を持っています。その事を実感したかったらぜひリー・クアンユー氏の著作を読んでみてください。

 

 

 

 

 

海外スタートアップの社員は解雇されたらどういう反応するか?

2011年から海外のスタートアップと一緒に仕事する任務についてから、現在までずっと世界各国のスタートアップとの業務を続けてます。僕の勤務先の会社とパートナーとなった会社の多くは、社員が数十人の小規模の会社で、グローバル市場に活路を見出して、いつの日か、売上が急拡大するのをめざしています。それゆえに、時に、資金繰りに困り、やむなく突然解雇をする企業も珍しくありません。

 

僕は、この十数年間で、日々、一緒に仕事にしていた(物理的な場所は離れていたけれども)仕事仲間が突然解雇にあった経験を三回しています。シンガポールにいたフランス人、そしてドイツ人、そして香港にいたイギリス人。

時期はそれぞれ異なりますが、三人とも、それぞれ、深い信頼関係ができ、友人とも言える関係になっていたので、彼らが解雇された当日に、連絡が来ました。

 

三人はどのような反応だったと思いますか?

 

それを答える前に、質問です。

もし、あなたが、ある日、突然、上司から、「明日から来なくていい。」なんて言われたら、どういう反応をしますか?突然、パニックに陥るでしょう。僕だってそうです。

でも、「欧米企業では解雇されるのは日常茶飯事だから、社員はすんなり受け止めて次の職を淡々と探そうとするのだろう」なんて思ってませんか? 映画やドラマで見たシーンを根拠にして。少なくとも僕はそのように思ってました。

 

でも、違うんです。やはり三人ともにパニック状態でした。フランス人とドイツ人は、英語はネイティブではないけれども、小さな頃から学んできた人たちなので、普段、流暢に英語を話しますが、僕に連絡してきて、解雇の状況を説明する際は、フランス語とドイツ語が、混在して、何を話しているのか、わからなくなる時が多々ありました。香港のイギリス人も、普段、英語が上手ではない僕に対して、平易な単語や表現を使ってくれてましたが、解雇通知のショックを表現する際は、あまりに早口で、かつ表現も何を指しているのかわからないようなフレーズばかりでした。

 

パニック状態に陥ると、人は、後天的に身につけた知識は吹き飛ぶんだと思いました。そして、それくらい突然解雇されるというのはどこの国の人でも大変なんだと思いました。特に、スタートアップのような少人数の会社においては、一人一人が仕事の面だけでなく、人間関係においても、そこそこの役割を担っているので、そういう中で、一部の人が突然いなくなるというのはかなりショッキングな出来事だと思います。

収入を得る手段を失うことのショック以上に、まるで、存在理由を否定されるような通達にショックを受けるのだと思います。

 

そしていうまでもなく、スタートアップにおいては、解雇する方も大変です。

そのフランス人が解雇された後、一年ほどして、解雇した側の経営者に、東京で会いました。夕食に誘って、赤坂の焼き鳥屋に二人で行きました。カウンターで、ビールを飲みながら、仕事の話をした後、彼に、その解雇した事情が知りたくて、話をふったら、堰を切ったように話し始めて、最後には涙を流してました。どうしても、一人解雇しないと経営が続かない場面だったそうです。そのような経営状態に一時、陥っていたということを知り、肝を冷やしましたが、同時にスタートアップというのはビジネスにおける道場みたいなものなんだと思いました。

 

解雇されたフランス人、解雇した経営者、それぞれ非常にタフな時をすごしたわけです。そして二人共、そういう経験を経て、それぞれのビジネスフィールドで大成功しています。

 

僕は、友人の突然解雇を目の前で見る経験を通じて、金魚鉢の中の金魚のように会社に依存する会社員ではなく、自分で仕事を創り出せて、稼いでいける仕事のスキルを身につけないと、この先本当に大変だなと痛感しました。今から思えば貴重な経験だったように思います。

 

 

読み、書き、話す、聞くのうち得意な分野から英語の勉強再開する

「グローバルビジネスの輪に入りたい。でも、英語苦手だから不可能。」と逡巡する人はたくさんいるのではないでしょうか?

でも、それは、裏返すと、飲むと突然、英語がペラペラになるような特効薬があるのではないか?と、どこかで期待しているからではないででしょうか。当たり前な話ですが、そんな薬はどこにもありません。

それよりも、たとえば十年かけて、英語でスムーズにコミュニケーションがとれるようになることを目標にするのはどうでしょう。日本語だって、そのようにして習得していきたはずです。だんだんと改善して、レベルを上げていく、まるで彫刻を掘るように、学んでいく、という発想に立った方が挫折しないのではないでしょうか。

よく言われることですが、福利の力を活かす長期投資の話と一緒ですね。

 

では、最初に何から始めるか?

帰国子女でもないのに、英語がすばらしく流暢で外資系企業で活躍する知り合いがいたので、アドバイスを求めると以下のような返事をもらいました。

 

「人は、誰でも、読む、書く、聞く、話す、のいずれかで得意な分野がある。得意な分野から始めると、英語の勉強はスムーズに離陸していく。」

 

そのアドバイスを素直に受け止め、読書好きの僕は、英語の小説を読むことから始めようと思いました。

選んだ本は、How Starbucks Saved My Lifeという小説です。この物語は、アメリカの有名な広告会社の幹部だった主人公が、中高年になって、リストラに見舞われ、仕方なく、独立し、仕事を得ようと努力するものの、年々、受注数は減っていき、もがき苦しんでいる時に、ひょんなことからスターバックスのスタッフになってしまい、それから人生が変わっていくというあらすじです。

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僕は、この主人公の所属している広告業界に所属していて、また、自分も中高年の年齢に入っていたので、この世代のサラリーマンの特有の悲哀を描く前半は、深く共感できました。なので、この本を徹底的に読み込んで、できれば暗記してしまおうと決めました。

とは、言っても、一人でやっても確実に挫折するのがわかっていたので、伴走してくれる教師を探すことにしました。

知り合いから、大手英語学校で教師していたオーストラリア人の男性を紹介してもらい、バイトで個人教授をしてくれるようお願いしました。週に一回。僕は予習として10ページほどこの小説を丁寧に読み込み、分からない部分を徹底的に質問して、解説してもらいました。翻訳できない部分のみならず、単語や文章の意味がピンとこない、とか、主人公の振る舞いに違和感があるとか、アメリカビジネスやアメリカ文化の背景がわからないから理解できていなさそうだと思う部分は、その背後にある社会的な文脈も解説してもらうようにしました。そのオーストラリア人の先生は大学院卒で大変なインテリだったので、全ての質問に対して、非常にアカデミックな解答をしれくれました。

そして、授業後は、時間をかけて復習し、何度も音読しました。ついでにその書籍のオーディオブックも買って、同じ部分を何度も聞き続けました。

こういった勉強を2年ほど続けました。それによって、広告業界で使用されるフレーズや単語が増え、仕事上でも存分に活用することができました。

例えば、その先生は一つの単語を以下のように解説します。

 

embraceという単語。仕事で、よくembrace change(変化を受け入れる)という表現で、出てきます。この単語が、How Starbucks changed my lifeでも出てきました。

 

先生は、この単語の意味をこう表現しました。

 

”1961年、ソ連の、人類初の有人宇宙船ボストーク1号に乗って帰還したガガーリン少佐をフルシチョフ書記長が抱きしめた。ハグした。これが、まさにembraceだ。”

 

そんなふうにして、解説してもらうと、その単語を深く理解することができ、記憶できます。そして、自分にとって、大学受験時に単純記憶した単語とは違って、馴染みのある単語となり、自信を持って活用できるようになるのです。

 

僕はそんな風にして、焦らず、時間をかけて英語の習得に励んできました。英語のレベルが上がっていくと、自然と、より複雑で高度な仕事が舞い込むようになるので、さらに英語に磨きをかけることに意欲が湧いてくるようになりました。

 

そして、その後は、他の分野、書く、話す、聞く分野にも勉強を広げていきました。この3分野の習得は、当然のことながら、読む勉強とは違い、悪戦苦闘の連続で、今もそれは続いてます。それでも、自分の得意な読む分野で基礎を作ったので、英語の勉強を飽きずに、今も続けられるのだと思います。

 

2010年、45歳の歳に、この方法で、英語の勉強を再開させて、それから、13年経ちました。今、どれくらいのレベルになったか?というと、例えば、イギリス人が立ち上げた、ロンドンがベースのスタートアップと日本市場参入の活動を、創業者と、日々細かく連絡取り合いながら、サポートしています。国際機関に長く勤務して独立した社会起業家とも日々仕事をしています。長い年月を経て、そういう人達と事業や国際問題について会話できるようになりました。ずいぶんと時間がかかりましたけれど、ある種の達成感があります。

 

「Chat GPTやDeep Lがあるので英語勉強する必要ない。」という悪魔の囁きは無視して、ぜひ、得意分野から英語の勉強の山をゆっくりと登り始めてください。

 

 

 

 

 

 

 

グローバルビジネスにも現場仕事がたくさんあります

グローバルビジネスという言葉を聞くと、MBA取ってないと入っていけない、とか、帰国子女じゃないと無理、なんてことを考えている人もいるかもしれませんが、全然そんなことはありません。財務会計や高度な英語を学び、異文化を理解する能力を高めた上で、世界に飛びだそうなんて、慎重になっているかもしれません。でも、尻込みする前に世界の輪に飛び込んで、自分のできる仕事を見つけることから始めたほうが早いです。

 

日本在住の人ならば、外資系企業に入社してしまうのが手っ取り早いかもしれません。そこで、グローバル市場での自分の価値を認識して、次に進むというのは合理的だと思います。

しかし、僕の場合は、どういう訳か、大学卒業以来、勤務する日本の広告会社にどういうわけか愛着があって、転職することなく、グローバルビジネスに入っていく方法を考えました。ただし、自分はエリートでもないし、幹部候補生でもないし、海外赴任を許されるような評判の良い社員ではなかったので、色々考えて、海外スタートアップが日本市場参入するのをサポートする仕事を創ることでグローバルの輪に入っていこうと決めました。2011年です。幸いにも会社にも承認され、その業務をやることになりました。それ以来、ずっとそんな仕事を続けています。

 

では、何をやっているか?海外スタートアップが日本市場に入っていくためのさまざまなサポート、彼らのソリューションを企業に案内し、プロモートする。いわゆるセールスです。そして受注した場合には顧客である日本企業とスタートアップの間に入ってプロジェクトマネジメントをする。終了後の請求、支払い作業等。つまりなんでもやってます。僕は「雪かきのような仕事」と名づけていますが、上記のような一連の仕事を英語と日本語でこなす人はあまりおらず、やりたいという人もごくわずかです。マーケティングやエンジニアと違って、泥臭い仕事と多くの人がとらえます。それゆえに、なり手が少なく、この種の仕事を請け負ってくれる人を探す海外スタートアップが無数にいます。

 

多くの人がやってほしいと思っている仕事だけれども、対応する人が極めて少ない「グローバルビジネスの雪かき」仕事のチャンスは日本でもそこらじゅうに転がっています。勉強が苦手な人はこんな現場仕事からグローバルの輪に入ってはどうでしょう?

 

 

シンガポールから始めるグローバルビジネス体験

日本人にとって、シンガポールはグローバルビジネスの玄関口

僕が、グローバルビジネスの輪に入れたと実感したのは、2010年。業務命令で、シンガポール支社に在籍するシンガポール人のデジタルマーケティングプランナーとマレーシア人のエンジニアと東京本社にいる僕と同僚,計4人でチームを組んで、東南アジア市場で新しい仕事を創っていくという任務が与えられた時です。

 

当時は、Zoomのようなすぐれたビデオ会議システムはなかったので、遠隔のコミュニケーション手段は電話会議とメールのやりとりが中心でした。そのため、結果的に、必要に迫られ、シンガポールや東南アジア各地への出張は月に数回行ってました。(考えてみれば、なんて幸運な時代だったんでしょう)

 

チーム結成した際に、キックオフミーティングということで、シンガポールに出張し、同地のチームメンバー二人と打ち合わせをすることになりました。しかし、英語の達者な東京のメンバーが同行できず、僕一人で行かざるをえなくなりました。自分の英語のレベルの低さを認識していた僕は、シンガポールに向かう機中で、胃が痛くなるくらい緊張していたのですが、実際二人に会ってみると、まるで親戚に会ったような親近感に満ち溢れ、本当に救われたような気がしました。二人の顔を見た瞬間、訳もなく「もう大丈夫だ。」と思いました。

 

でも、その感覚は僕個人の事情があったからかもしれません。僕は大学時代、フランス文学を学んでいました。ほとんどの教師はフランス人かカナダ人。大学三年の時は、2ヶ月かけてフランス中を旅しました。そういう形で田舎の高校生が、西洋文化に触れ、白人社会との関わり方を学んでいくと、どこかいつも緊張感があったように思います。外国人と付き合う時は、常にその緊張感があるものだと思ってました。そしてアジアについては、太平洋戦争の過去が僕個人にも、小さな頃から重くのしかかり、この地域の各国できっと嫌われているだろうと思い、意識的にアジアへの旅行するのを避けてきました。

 

そんなふうに考えていた自分が、べらぼうに明るいキャラクターの30代のシンガポール人女性と、東京のゲームセンターにたむろしているような風采のマレーシア人男性と会った時は、話す前から親戚に会ったような気分になり、本当に涙が出そうになりました。アジアで生まれたことの幸運を強く感じました。

 

3人で、半日以上、これから何をやっていくか、話し合いました。自分の英語の拙さで伝わらない部分は文章を書いて説明しました。彼らは嫌な顔せず、辛抱強く聞いてくれました。

 

その後、日が暮れてきたので、近くの食堂で食事をしよう、ということになりました。

さんざん仕事の話をした後、僕は、どうしても太平洋戦争について話をしたくなり、自分がどのように捉えているか素直に話をしました。彼らは、だまって話を聞いてくれ、その後に、自分達の先祖がどのような被害を日本軍から受けたか率直に話してくれました。その話を聞くのはかなり辛い体験でしたが、それを理解した上で、一緒に仕事をすることの意味を強く感じ、彼らに伝えました。大好きなビールも、喉に通らないほど緊張しました。彼らは、帰り際、最後に素敵な笑顔を僕に見せてくれました。

 

この長い会議と深い話をした夕飯の次の日から、幸運にも、僕は、彼らに受け入れられました。そして、その後、彼らの個人的な人脈を通じて、東南アジア各国のビジネスエリートや華僑の大富豪を紹介してくれるようになりました。そうやってアジアでビジネスをする方法の基礎を学んでいきました。彼らがいなかったらグローバルビジネスの輪に入っていけなかったと思います。本当に感謝してます。もちろん、今もつながってます。

 

シンガポールには、あなたを世界につなげていく水先案内人がいると思いますよ。

 

出張中の外国人客を自宅での夕食に招待する

2011年にフランスのスタートアップと協業を始めて、当初から気になっていたのが、「本当にこの会社は存在するのか?怪しい業務をしているのではないか?自分たちは騙されているのではないか?」という一抹の不安でした。ホームページを見ても、実態がよくわからないし、検索しても、その会社に関する一般情報は多くなく(よく考えてみれば立ち上がったばかりのスタートアップなのであたりまえなのですが)一緒に電話会議やスカイプ会議をして、コミュニケーションを取っている限りでは、極めてまともなことを言っているし、誠実そうなので、安心はしつつも、数十人たらずのできたばかりの外国企業だったので、日本の会社と新しく仕事を始める時とは違う緊張感がありました。

 

僕は、この不安を払拭しようと思い、彼らが東京に出張にやって来る際は、積極的に自分の自宅に誘って夕飯を食べることにしました。十年前は、僕の英語は本当に拙くて、仕事をこなしていくのもやっとで、世間話を気軽にできるレベルではありませんでしたし、妻は、英語をまったく話しませんので、外国人客を家に招いて一緒に食事するなんていうのは、相当レベルの高い振る舞いで、緊張度合いも半端なかったのですが、回数をこなすうちに楽しませるコツがわかるようになってきました。

 

 ①英会話の達者な同僚や友人も招待して会話が途切れないようにする。

 ②何回かランチやディナーを共にした後で、自宅に招待することで、食の好みを把握

  しておく。彼らが喜ぶ料理を出すことで、それだけで、まずは盛り上がる。

 ③ 格好つけずに、日本人の極小の家を存分見ていただく。(実家がボルドーにあり、

  葡萄畑を持っているフランス人の幹部は、僕の家を訪ねて、まさしく

  「ショック」という単語を使って素直に表現してました)

 

この三つを念頭に、かなりの数の自宅ディナーをこなしました。そのことで、彼らの勤務するスタートアップが小さいけれども魅力に溢れた会社で、普段付き合っているメンバー同士がどのような人間関係になっているかもよく理解でき、信頼して協業できる会社だと安心できるようになりました。と同時に、自分自身も家族を含めて開示することで、彼らにも安心感を与えることになりました。その結果、私が、シンガポールやパリなど、彼らの勤務する地へ出張する際には、自宅に呼ばれて彼らの家族と一緒に夕食を共にするようになりました。そうやって濃い人間関係を築くことができました。

 

グローバルビジネスはジャングルだ、と多くの人が表現しますが、その通りですが、自分の直感で信頼できそうだと思った人には、思い切って自己開示して、相手のカードも見せてもらうという行動も有効ではないかと思います。

 

僕の外国人の仕事仲間の多くが、自宅で夕食を招待する日本人はめったにいない、と言ってます。なので、ぜひトライしてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

新規事業の一環で海外スタートアップと協業してグローバルの輪に入っていく

会社員の方で、現在、海外事業に全く関係ない部署に所属して、それでも、何らかの形でグローバルビジネスに挑戦してみたい、という強い希望を持たれている人がいるなら、海外スタートアップとの協業に業務の一環で挑戦することをおすすめします。

世界には、日本市場に参入したいと思っているスタートアップは数え切れません。特に中国市場の参入が難しくなっている欧米のスタートアップは、日本市場は今もなお、魅力的です。少子高齢化と言われて、多くの日本人が行く末を案じて嘆いていますが、1億2000万人の人口を持ち、ルールに則って安定したビジネスをできる市場というのは、他にありません。だから、その気になれば日本市場に参入する有力スタートアップを見つけ出して、協業をするのは一つの方法です。

 

僕は2011年に、そのような形で、世界の消費者クリエイターと共創するプラットフォームを運用するフランスのスタートアップと戦略提携する実務の責任者としての任務につき、そこからグローバルビジネスの輪に入っていきました。新規事業の側面でいえば、大失敗で、会社に迷惑をかけましたが、その経験からグローバルビジネスの輪に入ることができ、東京にいながら、ダイナミックが仕事ができるようになりました。

 

どこで、有力なスタートアップを見つけるのか?がポイントになると思いますが、

SXSW

のようなオープンイノベーションカンファレンスに参加して見つけるのも一つの手ですが、日々情報に接している中で、ピンときたスタートアップが来たら直接連絡をして可能性を探る、というのも有効なやり方だと思います。もちろん、この行為はある種の博打でリスクの高い方法ですが、リスクヘッジを幾重にもかけて先方と協議する方法にはないダイナミックな展開が期待できます。

そのようなギャンブルを許さない社風に勤務されているならば、専門の会社を起用して協業先を慎重に選んでいく方法もあります。

イントラリンクという専門の会社があります。この会社は日本企業と海外のスタートアップの協業を推進する専門企業で、有能なコンサルタントが多数在籍しています。多くの社員は欧米出身の方ですが、完璧に日本語を話します。予算が許すならば、この種のスペシャリストの助けを借りながら海外スタートアップとの協業を推進するのがリスクをおさえながらチャレンジする合理的な手法だと思います。