ごく普通の会社員がグローバルビジネスの輪に入っていく方法

留学してMBA取らなくても、普通の会社員がグローバルビジネスに飛び込んでいく方法あります

Linkedinはグローバル人脈が広がるベースとなる

「英語でビジネスをするのは、まだ慣れていないけれども、近い将来、グローバルビジネスに挑戦してみたい」という人は、Linkedinのアカウントを英語ベースで運用するのをスタートされるといいと思います。僕は十年前に始めて、今ではこのアカウント上の人脈が貴重な資産となってます。

 

僕のLinkedin体験を記します。

英語をろくに話せないのに、2011年、突如、フランスのスタートアップと戦略提携をして、日本ビジネスの責任者となりました。チームに、とびきり優秀な帰国子女が数人いたので、最初は滞りなく、協業は進んでいきましたが、それでも、僕は、外国人と仕事をする経験がほとんどなかったので、数ヶ月もすると、言語の壁、文化の違い、大企業とスタートアップの企業風土の違いに混乱し、精神的に追い込まれるようになりました。それでも、昼夜を問わず、土日もがむしゃらに働いたのは、このフランスのスタートアップの創業者や、社員達が、次から次へとグローバルビジネスに僕を誘う知見や道具、人脈を紹介してくれたからです。

 

彼らから紹介され、今となっては、貴重な財産になったのは、ビジネスマッチングプラットフォームLinkedinのアカウント開設です。

 

協業先のスタートアップのフランス人の幹部から「マサヤ、Linkedinのアカウント作ったほうがいい」と強く勧められて、彼のアドバイスで開設しました。写真の写りも注意を受けて、わざわざ写真スタジオで撮影しに行きました。プロフィールの書き方も、細かくアドバイスを受けて立ち上げました。十年ほど前だったと思います。

 

その頃は、自分の周りの日本人で、Linkedinをやっている人はいないので、英語ベースでこのアカウントで情報を発信していきました。それ以来、これは、自分のグローバルビジネスにおける名刺代わりになり、これから会う人にはチェックされ、会った人とはLinkein上でつながり、お互いの投稿を見ながら、どんな仕事をしているかアップデート情報を確認し、時には連絡取り合い、また一緒に仕事をしたり、職を失った人には、何か手助けできないか、メッセージを送るなどを頻繁に行ってます。特にコロナ禍においては、タフな状況に陥った知り合いがたくさんいて、率直な現状報告に共感した人がLinkedin上でアクションを起こすメッセージがたくさんアップされました。

また、新しく知り合った人が自分のネットワークの中で誰と繋がっているのかわかるので、仕事を始める際には一応評判を聞いて確認して、知り合った途端から一緒に仕事を始める、なんてことも起こるようになりました。

 

また、当然ながらLinkedinの役割として重要な、転職マッチング機能もありますので、頻繁に外国人ヘッドハンターからも連絡がきました。興味がてら、会って話をしました。多分三十人くらいは会ったと思います。僕の場合、結果的に転職することは、ありませんでしたが、自分の市場価値はよく理解できました。

 

今、自分のアカウント上で繋がっている人を確認すると600人いました。びっくりです。会ったことのない人も含まれますが、学歴、職歴、活動内容を見て問題ないと思うに限って繋がっていきますので、このネットワークはかなり有効です。実際、新しいビジネスをする際にも役立ってます。

 

ぜひLinkedinの英語運用チャレンジしてみてください。

そして、Linkedin以上に刺激的なグローバルビジネスマッチングプラットフォームの

に今、ハマってます。こちらは、別の機会に書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

ジョン万次郎のようにグローバルの沖に流されたサラリーマンの話

先日、NHKの朝ドラ「らんまん」を見ていたら、沖に流されてアメリカに渡って壮絶な人生を歩み、その後、幕末の時代に帰国した漁師

フランススタートアップとの協業の思い出


が出てきた。それを見て、ふと自分のこれまでの十年を思い返した。そして、なぜだがブログを再開しようと思った。

僕は、1989年に東京の広告会社に入社して、それ以来、ずっと同じ会社で働いている。今、57歳。あと少しで定年だ。多くの人が「同じ会社で勤め上げるなんて、まさに古き良き時代のサラリーマンそのものですね」と言ってくれる。多分、半ば呆れているのは承知している。それでも、順風満帆だったわけではない。中盤からは、嵐の日々だったのだ。そして嵐があまりに強くて、僕はグローバルビジネスというジャングルのようなビジネスフィールドに出会い頭の事故のように放り込まれてしまった。2011年のことだ。

 

新規事業の一環で、自分が勤務する会社がフランスのスタートアップと戦略提携することになり、僕はその責任者になった。他人事のように書いたが、正確には、自分がその仕事をやりたくて、当時の社長に直談判して認められて責任者になったのだ。それまで僕は、順調に仕事をこなし、非常に評判の良い社員だったので、社長もそれを背景に二つ返事でOKしれくれた。当時は、まだ、そんな安易な雰囲気で新規事業予算の承認が降りていたのだ。

 

僕は、自分の力を過信して、難なく、その協業をうまくこなし、売上を短期で拡大させることができるだろうと思っていた。けれども、実際はびっくりするくらいに上手く行かなかったのだ。最大の原因は、僕は英語を話すことができず、グローバルビジネスの経験も一切なく、パートナー企業の業務内容も良く理解しておらず、おまけに財務会計の知識もろくにないまま、新記ビジネスを始めたからだ。このプロジェクトには、数人の、社内でもとびきり優秀な帰国子女の後輩がついていたので、彼ら、彼女らにおんぶにだっこ状態で、協業を進めていた。金の問題や法務の問題、人間関係の問題等、次から次へと問題が発生して、毎日僕が詰問されるようになっていった。そして、そのような状況を見限った後輩達は転職し、僕一人取り残されて仏のスタートアップとの協業を継続していった。

 

そこからだ。ジョン万次郎のような体験をするのは。先方のファウンダーや社員はもちろん、日本語を誰も話せない。それでも、日本でのビジネスを拡大しないと彼ら自身のビジネスも拡大しない。そのため、ろくに英語を話せない僕と彼らは、さまざまなコミュニケーション手段を使って、どうにかビジネスをやりとりして、売上を拡大させるために必死に努力をしたのだ。そういう日々が三年続いた。馬鹿みたいに仕事をずっとやりづけた。朝も昼も夜も、土日も。気づいたら英語ができるようになってきた。

 

あれから十年経った。僕は、今、世界各国にできたパートナーと一緒に複数のプロジェクトを回す仕事ができるようになった。といってもエグゼクティブでもないし、給料高いわけでもない。それでも、十年で積み上がった信頼できる人脈をベースに日本企業の新規ビジネス支援の仕事をこなせるようになった。

45歳の時にグローバルビジネスという沖に流されていなかったら、僕の人生は全く違う人生になっていた。今では、その漂流を幸運な出来事だったと思えるようになった。

 

ジョン万次郎が、晩年、日本に帰って、日本のために、日本の若い人々のために、教育に情熱を燃やしたことを知っている。僕の経験は大したことはないけれども、それでも、世界に出ていく術を知らない日本の会社や日本のビジネスピープルに、自分の知見とネットワークは少しは活きてくると思っている。そういうビジネスをこれから創っていくつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

YouTubeを巡る世の中の変化

先週、会社の先輩と蒲田の居酒屋さんで酒を飲んだ。五十代後半の先輩は、ホッピー、僕は生ビール。YouTubeによって広告業界がどんどん変わっていってることについて話した。「高校生の娘なんてテレビ全然見ないよ。ウチに帰ったらずっとYouTubeだよ。」と。僕の息子はまだ小学生だが、テレビを自由自在に使いこなし、自己編集し、好きな番組を好きな時間、好きなタイミングで観ている。もちろんYouTubeも上手に観ている。アニメやゲームものはもちろんだけれども、時には、勉強でわからないことあると、塾が制作している動画を見つけて、「わかった!」なんて言っているのを観るとDigital Nativeと自分の人生に大きな隔たりがあるだろうと思ったりする。人々のメディアに対する接し方が劇的に変わったんだと思う。かくいう僕自身も、YouTubeが大好きで、週末にiPad使って酒飲みながらYouTubeを見続けることのが楽しみの一つになってしまった。自分の興味の赴くままに、映像を選び、変え、繰り返し観ることができるので、テレビを長時間観た後のようなむなしさはなく、むしろ水泳やジョギングした後のような充実感さえ感じてしまう。この充実感を感じるとやはりいやでも思うようになるのだ。僕はこれまで強制的にテレビを見せられてきたなと。ここ十年近く、広告業界に勤めているのにかかわらず、テレビを観なくなり、世間に疎くなり、タレントの話やスポーツの話など一つも頭に入らなくなって時に変人扱いされることが多かったけれども、やはりテレビを観なくたってよかったのだと安堵をしている。でも、同時に広告業界はもうじき大きなビジネスモデルの転換をしないと生き残って行けなくなるんだろうと思う。どんな風に変わらなければならないのか?もちろん僕が正解を知っている訳でないけれども、YouTubeを巡る世の中の変化を丁寧に観察してゆくことでだいたいの方向はわかってゆくはずだ。クリエイターの動き、宣伝予算を使う企業の動き、メディア企業の動き、クリエイターを目指す若者と彼等を後押しするアートスクールのの動き、動画を楽しむ若い子の動き、それから広告会社の動き、そしてもちろん大事なのはGoogleがどう動いてるかつぶさに観察する必要もあるだろう。そうすることでちょっと先の変化を予測し、ビジネスにしてゆく。広告会社の一番の楽しいビジネスは、こういう状況でも健在だ。もう一踏ん張りして、楽しもうと思ってる。

 

YouTubeで小さく稼ぐ ~再生回数2億回の達人が教える、撮った動画をお金に変える方法~

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京都雑感

昨日、大阪出張の帰りに、ふと思い立ち、京都で降り、数時間過ごした。数年前まで、仕事の関係で京都に行く事が多かったのだけれども、アジアとの仕事が多くなって、いつの間にか訪れなくなっていた。久しぶりに町を歩いていると、完璧に着物を着こなしている十代の女性がいたり、見るからに裕福で教養がありそうな世界各国の外国人の旅行者が目について、自分は今、東京ではなく、京都にいるんだなと実感した。僕個人の感覚で東京を、すごくおおざっぱにくくれば、北京や、シンガポールや、ジャカルタや、台北や、バンコク、あるいはホーチミンと変わりないように思えるけれども京都はどことも違う。何から何まで違う。だから実に多くの外国の旅人が訪れるのだろう。自分が生まれ育った町のように、京都のユニークネスを誇らしく思えた。

物語に魅せられて

考えてみれば、毎日何らかの物語に出会い、心揺れたり、癒されたり、痛みが生じたりする。同時に、その心の動きにバランスを取ろうとして自分でその物語に上書きしてゆく。そうやって日々物語につつまれて活きている。誰もがやっていることだけれども、ことさら自分はその行為に執着し、魅了されている。岸田秀という心理学者が「人間は本能が壊れているから、本能の代わりとして物語を編み続ける必要があり、それは病である」と指摘していたのをずっと覚えている。そう、一種の病気かもしれない。「物語病」。そうかもしれない。でも僕はあえて言う「物語は王様」。これから少しずつ様々な物語を書いていこうと思う。