ごく普通の会社員がグローバルビジネスの輪に入っていく方法

留学してMBA取らなくても、普通の会社員がグローバルビジネスに飛び込んでいく方法あります

シンガポールから始めるグローバルビジネス体験

日本人にとって、シンガポールはグローバルビジネスの玄関口

僕が、グローバルビジネスの輪に入れたと実感したのは、2010年。業務命令で、シンガポール支社に在籍するシンガポール人のデジタルマーケティングプランナーとマレーシア人のエンジニアと東京本社にいる僕と同僚,計4人でチームを組んで、東南アジア市場で新しい仕事を創っていくという任務が与えられた時です。

 

当時は、Zoomのようなすぐれたビデオ会議システムはなかったので、遠隔のコミュニケーション手段は電話会議とメールのやりとりが中心でした。そのため、結果的に、必要に迫られ、シンガポールや東南アジア各地への出張は月に数回行ってました。(考えてみれば、なんて幸運な時代だったんでしょう)

 

チーム結成した際に、キックオフミーティングということで、シンガポールに出張し、同地のチームメンバー二人と打ち合わせをすることになりました。しかし、英語の達者な東京のメンバーが同行できず、僕一人で行かざるをえなくなりました。自分の英語のレベルの低さを認識していた僕は、シンガポールに向かう機中で、胃が痛くなるくらい緊張していたのですが、実際二人に会ってみると、まるで親戚に会ったような親近感に満ち溢れ、本当に救われたような気がしました。二人の顔を見た瞬間、訳もなく「もう大丈夫だ。」と思いました。

 

でも、その感覚は僕個人の事情があったからかもしれません。僕は大学時代、フランス文学を学んでいました。ほとんどの教師はフランス人かカナダ人。大学三年の時は、2ヶ月かけてフランス中を旅しました。そういう形で田舎の高校生が、西洋文化に触れ、白人社会との関わり方を学んでいくと、どこかいつも緊張感があったように思います。外国人と付き合う時は、常にその緊張感があるものだと思ってました。そしてアジアについては、太平洋戦争の過去が僕個人にも、小さな頃から重くのしかかり、この地域の各国できっと嫌われているだろうと思い、意識的にアジアへの旅行するのを避けてきました。

 

そんなふうに考えていた自分が、べらぼうに明るいキャラクターの30代のシンガポール人女性と、東京のゲームセンターにたむろしているような風采のマレーシア人男性と会った時は、話す前から親戚に会ったような気分になり、本当に涙が出そうになりました。アジアで生まれたことの幸運を強く感じました。

 

3人で、半日以上、これから何をやっていくか、話し合いました。自分の英語の拙さで伝わらない部分は文章を書いて説明しました。彼らは嫌な顔せず、辛抱強く聞いてくれました。

 

その後、日が暮れてきたので、近くの食堂で食事をしよう、ということになりました。

さんざん仕事の話をした後、僕は、どうしても太平洋戦争について話をしたくなり、自分がどのように捉えているか素直に話をしました。彼らは、だまって話を聞いてくれ、その後に、自分達の先祖がどのような被害を日本軍から受けたか率直に話してくれました。その話を聞くのはかなり辛い体験でしたが、それを理解した上で、一緒に仕事をすることの意味を強く感じ、彼らに伝えました。大好きなビールも、喉に通らないほど緊張しました。彼らは、帰り際、最後に素敵な笑顔を僕に見せてくれました。

 

この長い会議と深い話をした夕飯の次の日から、幸運にも、僕は、彼らに受け入れられました。そして、その後、彼らの個人的な人脈を通じて、東南アジア各国のビジネスエリートや華僑の大富豪を紹介してくれるようになりました。そうやってアジアでビジネスをする方法の基礎を学んでいきました。彼らがいなかったらグローバルビジネスの輪に入っていけなかったと思います。本当に感謝してます。もちろん、今もつながってます。

 

シンガポールには、あなたを世界につなげていく水先案内人がいると思いますよ。